つまり、知るということに自分が主体として関系している场合は、楽しいなどと言ってはおれないということです。本当の「知」とはこういうものであって、それと、无责任な、评论家的な「知」との违いをわきまえておく必要があろうと思います。
この点で、人生にはリハーサルがないということも念头におくことが大切でしょう。芝居は何回もリハーサルをやってから本番なのです。だからこそ、真実に生きるためにはどうすれば良いかと问いかけ、本当のことを知ろう、学ぼうとせざるをえないのです。たとえ、それが苦しみをもたらそうたも、场合によってはひどい目にあわされようとも。本当の「知」を得るためにはこれくらいの覚悟がいるものです。论语の言叶に「朝に道を闻かば、夕に死すとも可なり」というのがあります。いったん真実を知ったならば死んでも悔いはない、そういう真実の探究を心がけたいものです。