日本人的なあきらめ
现代に伝わる日本最古の歴史书である『古事记』1を振り返してみよう。『古
事记』におけるこのような「世」観は、仕方で受け止められている。「世间」は、个人に対する社会としての意味ではなく、彼岸的世界に対するこの世界というものであったと思われる。「世间」は、『万叶集』②に出てくるといわれるが、この数は、万叶人の「世间」に対する関心の深さを示している。
彼岸的世界への対置としての人间の住むこの世界という意识には相当强いものがあったと思われる。ところで、彼の世界に対するこの世界としての「世
间」の性格をさらにはっきりと表现した言叶として「うつせみ」がある。これ
までの研究によると、「うつせみ」は元来「うつしおみ」であり、それが「う
つそみ」「うつせみ」となったので、この世の人の姿をして目に见えるもの、
この世の人、さらには现世・人间世界の意味であるという。「うつ」は、神代・昔・梦・神の世界・自然などに対する「うつ」であり、つまり幽でなく顕の、しかも自然界でなく人间世界をさすものであるという。ところで、「うつせみ」は、父母・妻子とともに生きる世界であり、また大君の命のままにあるべき世界である。それは、恋などさまざまな思いの繁き世界であり、病いと老いと死の、常なく短く、流れて留らぬ、空しく忧く、辛く苦しく悲しい世界である。だが、この「世间」の悲しさ忧さを超え出ていこうとする志向を万叶人はもたない。仏教もまだ十分に民众に浸透せず、そこを志向すべき超越的世界として働いていない。万叶人は、「うつそみ」の悲しさをそれとして受け止めようとする。そこで、「すべなし」という受け止め方が浮かび上がってくる。