『ことばと文化』

如题所述

第1个回答  2023-01-23
人びとが异なった文化に接するとき、限られた范囲の体験を、とかく一般化するあやまちを犯しやすい。しかも、その一般化は、かならず自分の文化の构造に従って行われ、そこからさまさまな误解が生まれる。

  言叶についていえば、たとえば英语のdrinkはふつう日本语の nomuに対応する。しかし、日本语のこの动词は、水、茶、コーヒーばかりでなく、粉薬を“のむ(swallow)”ときも、烟草を“のむ(smoke)”ときにも用いられる。英语のdrinkは「人间の体を维持するに役立つような液体を、口を通して体内に取り入れる行为」と定义できる。それに対して「のむ」は「何ものかを、口を通して、噛まずに、体内に取り入れる行为」と说明できる。このような微妙なちがいは、気づかれることが少なく、したがって理解することがむつかしい。

  文化にはovert culture(见える文化)と言われるものと、covert culture(隠された文化)と呼ばれるものがある。たとえば食事のとき日本人は箸を使い、西洋人はスプーン、ナイフ、フォークを使う。このような现象は、overt cultureである。いっぽう今日の日本人も、しばしばスプーンやフォークを使うが、スプーンの使い方は西欧人とは微妙にちがう。日本人は、スプーンを両肩の线に平行に使って吸うが、西欧人はスプーンの线を両肩の线に直角にちかく近づけ、その先端から饮む。吸うというより流し込むようにする。このようなちがいは、covert cultureに属する。文化というものは、このように、当の 本人が自覚しない、无数の细かい习惯の堆积から成り立っている。このかくれた部分に気づくことこそ、异文化理解の键である。「彼はループを饮んだ」その言叶によってあらわされる现実の动作は、文化が异ればそれに伴って违う。言叶によって概念化され得る现実の部分は、このようにつねに氷山の水面にあらわれた部分のみである。

  ヨーロッパの多くの言语では话し手とその相手を示すことばに関するしくみは大同小异で、一人称代名词、二人称代名词と称される。しかし日本语では人称代名词という用语で「わたくし」「ぼく」(I)「あなた」「きみ」(you)などを说明できない。それ以前に、日本人は、むしろできるだけこれらを使わず、何か别のことばで会话を进めていこうとする倾向が明瞭である。自分を示すときも相手をさすときも、いわゆる代名词より、亲族関系、地位関系、场所関系を示すことばが多用される。职业名もしばしば相手または第三者を指すために用いられる。

  インド·ヨーロッパ系言语では、一人称代名词同一のことばが何千年にわたってずっと一贯して用いられている。二人称代名词の歴史はやや复雑だが、《tu》系统の语が残っているものに限れば、ことばの同一性が何千年も続いているといえる。それに比べると日本语の人称代名词の生命の短さは対照的である。现代标准语のいわゆる一人称代名词である「わたくし」「ぼく」などは古代日本语にさかのぼることができないばかりか、「ぼく」などは、口语における使用はわずか百年あまり前に始まったにすぎない。相手をさす「きみ」「おまえ」「あなた」「きさま」なども、人称代名词としては古代までさかのぼることができない。日本语では有史以来、自分を指す代名词と相手をさす代名词は目まぐるしいほど変化しており、新しく使われるようになることばは、常にもとは何か具体的な意味をもっていた実质词からの転用であった。その変化のパターンには、明らかな共通点がある。自称代名词はどれも、新しく使用されはじめたときは相手に対して自分を卑下する意味をもっていた。そして长く使用されると、段々と自分が相手に対して尊大にかまえる気分をあらわすようになり、ついには相手を见くだす时にだけ使えることばに変化し、一般の使用から脱落していった。江戸时代に主として汉文の中で使われた「あなたのしもべ」を意味する“仆”が、明治时代に口语として広まり、现在では目上の人に対するときや、改まった场合には使わない方がよいことばとなっているのは、その典型である。逆に、対称词では、自称词と正反対の変化が生じている。「贵様(きさま)」は相手を尊敬することばであったのだが、次第に相手を低くみることばとなり、ついに相手を骂りいやしめるか、きわめて亲しい交友関系にのみ许されるぞんざいなものになってしまった。

  今、かりに四十歳の小学校の先生をモデルに自称词、対称词を调べると、自称词は七种、対称词はあなた、きみ、おまえなどの代名词のほか、先生、おとうさん、にいさん、ぼうや、その他があった。こういう例をいくつか调べると、そこにかなり整然とした规则が発见できる。この规则性を基本的に支えているのは目上(めうえ)、目下(めした)という対象概念である。

  また、日本人の対话は、たとえそれが社会的なコンテクストのものでも、究极的には亲族间の対话のパターンを拡大したものとみなすことができる。そして同时に、亲族名称の虚构的用法が特に発达している(例:子供は近所の大人に対してオジサンと呼ぶ)。呼びかけのみならず、他人に対して自分自身をも亲族名称を使って示すことができる(例:大人は子供にむかって、自己をわたしと表现するより、オジサンという)。

  ふつう亲族名称は自己中心语であり、ある者と亲族関系にあるいろいろな人の异った立场によって同一物が异った名称で呼ばれる。しかし日本语の対话の中で使われる亲族名称は、しばしば自己中心语としてではなく、きわめて特殊な使われ方をする。たとえば、ある祖母は自分の娘に子があるばあい、自分の娘をママと呼ぶことができる。妻は自分の夫を、子のあるばあいはお父さんと呼ぶ。前者では祖母が孙の、後者では妻が子の立场または视点に立ち、共感的同一化をしているのである。

  结婚した当座は互いに名词で呼びあてっも、子供ができるとお互いの呼称はパパ、ママになってしまう。日本の夫妇はほとんど明示的な爱情表现をしないし、サッカリン.ターム(甘い言叶)も持っていない。彼らにとって结婚状态とは、たえず相互の爱情を确认しながら保持していくダイナミックで契约的な人间関系ではなく、むしろ否定や解消が原理的に不可能な亲子関系という静止的で不変な関系、それ自体すでに与えられた人间関系として把握されている。そして深层心理における不安定感は、子供の诞生によって安定し、彼らの地球は子供を中心として廻りはじめる。

  一人称代名词の机能は、自分が话し手であることを、言叶で明示することである。インド.ヨーロッパ语では、话し手の言语による自己规定が、相手や周囲の状况とは无関系に、自発的·独立的になされる。まず。“Ⅰ”があって、そして相手が规定される。日本语では逆に、相手の规定が自己规定に先行する.相手をまず息子、同僚、先辈などと规定し、それからそれに対応する自称がきまる。だから、日本人は、未知の人に対しては、相手の正体(隣人か、彼の属する会社のエライひとか、学校の後辈か、亲戚か)が解るまでは、言语的にもいわば座标轴未决定の不安定の状态におかれる。ここから、日本人が未知の他人と気安く言叶を交すことを好まないという行动様式がみちびかれる。そして、このような対象依存型の自己规定は、同时に自己を対象の中に没入させ、自他の区别の超克をはかる倾向がつよいという特殊な心情を生む。自己の主张を明らかにするよりも、相手の気持ち、他人の考えを素早く愿虑する。他人が意见なり愿望なりを言语で明确に表现しないうちにいちはやくそれを察知して、自分の行动をそれに合わせようとする。このような个と个の融合をはかる顕著な倾向が生まれた原因は、むろん日本人があまりにも同质的なひとつの文化のなかで生きてきた结果である。

  「解说」

  この本の中で。著者は、まず日本语をインド、ヨーロッパ系の原语、特に英语と比较しながら、文化の违いによって言叶の构造も违い、対応すると思われる単语ですら表すものやその范囲が违っていることを、多くのわかりやすい具体的な例によって示す。言语学者である笔者によれば、ものは人间にとってものそれ自体として存在するのではなく。人间が言叶を与えることによってものを存在させているのである。この双方から、笔者はさらに読者を[言叶とは何か]という言叶论のなかに招待する、その招待は、抽象的·哲学的な议论ではなく、新鲜で兴味深い実例が豊富に用意されている。読者は、これまで见过ごしていた角度から、言叶というものの意味.机能などを理解することになるだろう。

  最後の[人を表すことばは]と题される章は、本章の中で量的にもっとも长く、内容的にもっとも注目すべき章である。そこでは日本语の自称词、他称词が论じられている。日本语における自称词、他称词およびその使用法には、インド·ヨーロッパ系言语におけるそれと比べて,きわだった特徴がある。ここに绍介したのは、その一部に过ぎない。言叶の特徴と言われるものは、他の言语との比较によって初めて可能なことで、ある言语の机能の合理性や価値を计る尺度は、その言语の属する文化の中にしかない。言叶は、その文化の重要な一部であって、この一章を理解した読者は、日本人の心理や行动様式を、内侧から多く理解したことになるだろう。

求日语翻译方面的参考文献
1.铃木孝夫 『ことばと文化』岩波新书 1973年 2孙满绪等 《日语近义词词典》 上海外语教育出版社.2005 3汤一平 《日汉同类语词典》 上海远东出版社.1994 4. 森田 良行:『日本人の発想、日本语の表情』东京:中央公论社 1998 2. 韩 立红著:『日本文化概论』,南开大学出版社 200...

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1. 铃木孝夫,《笑毁ことばと文化》,岩波新明升亩书,1973年。2. 孙满绪等,《日语近义词词典》,上海外语教育出版社,2005年。3. 汤一平,《日汉同类语词典》,上海远东出版社,1994年。4. 森田良行,《日本人の発想、日本语の表情》,东京:中央公论社,1998年。5. 韩立红著,《日本文化概...

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