弁当、弁当箱、仕出し弁当が最近ブームになり、OL、学生、サラリーマン、主妇たちみんなが弁当を大量に消费しているのは偶然ではありません。中身が変わったことも重要ですが、私の调べたところでは、弁当箱の形、大きさ、色の変化も大きな意味を持っています。ホーム・メイドの弁当でも既制品の弁当でも、歴史上の事件や危机、女性の地位、教育システム、バブル経済などを反映しています。しかし私たちは、今の日本が全く新しい役割を果たしている国际的な舞台も无视することはできません。弁当箱を使うことによって、现代の日本は伝统を保っていけるだけでなく、それを取り戻すことさえできるのです。しかも时には洋风の総菜を诘めて、ちょっと洗练されたエキゾチックな感じを味わったりしながら。日本人は自分たちがほとんど忘れてしまった伝统を创り直しながら、同时に、世界共同体の一员としての自己、自分たちが日本と世界の両方に属していることを再确认しているのです。外国の食文化を弁当に合うように作り直して自国のものとし、惯れた食べやすいものとしてしまいます。外国からの影响がますます増える社会で、「日本らしさ」の感覚も强められ、自国风に作り直されます。
日本を良く知っている人ならきっと、「日本では外国の影响が日常にあまりに広く浸透しているので、自分たちが外国商品および/あるいは外国文化に浸っていることを、时には日本人自身が忘れてしまう」ということに気付いたことがあるでしょう。ある一五歳の日本人の少年が米国に留学し、アメリカのホームステイ先で、「おやまァ、アメリカにもマクドナルドがあるんですね」と言ったという有名な笑い话があります。しかしこれは日本人だけのことではありません。私たちはみんな、どの国の人でも、自国の伝统文化、自国の伝统的な物品、自国の伝统的な料理についてはちっとも知らない、ということがあり得るのです。
伝统的なスタイルに作り直された弁当箱で新らしく考案された総菜の弁当を食べることによって、多くの日本人は外国を、そして同时に、一番大事な日本文化も同时に味わうことができるのです。日本人のアイデンティティの构造と、西欧のものの自国への取り込みが、単に「ポスト・モダン・消费者・情报型の社会」の出现のせいだけではなく、これまでの歴史の中にみられるはずであるとすれば、自国の工芸品の使用のリバイバルについても似たようなことが言えるはずです(Dorinne Kondo, 1993,p.199)。紧密にからみあった世界の中で、たえず変化し种类も豊富な弁当箱は、二重の桥のような働きをしています。すなわち、多くの日本人は新しく作り直された自国の伝统工芸品に接し、あるいは良く知り、そして、あるいは楽しむことができるのです。
弁当箱を使用することによって、日本の人は伝统のよさと同时に现代の豊かさの利点(外国文化の影响は、自分たちのアイデンティティ、毎日の生活、好み、スタイルなどすべて自分たちにあうものに作り変えて)をも享受することができるのです。弁当箱など日本社会の分析とは何の関系もない、と考える人もいるでしょうが、弁当箱はこれからもきっと日本社会の変化を反映し、日本人と日本人の日常の行动に影响を与え続けていくでしょう。これはまた、いつの日か他国の习惯や生活様式にも影响をおよぼすようなことになるかもしれません。